砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない 書評!

子供は大人には勝てない。だって実弾がないんだもの。
直木賞作家、桜庭一樹によって書かれた作品。
さすがこの小説の後、直木賞を取るだけのことはあるのだと思った。ありきたりの展開ではなく読み手の予想を超える展開を作り出している。話のあらすじだけを語れば誰にでも書けそうななのだが、読んでみるとそれぞれの山場の配置が秀逸だ。

あらすじをのせておく。

その日、兄とあたしは、必死に山を登っていた。見つけたくない「あるもの」を見つけてしまうために。あたし=中学生の山田なぎさは、子供という境遇に絶望し、一刻も早く社会に出て、お金という“実弾”を手にするべく、自衛官を志望していた。そんななぎさに、都会からの転校生、海野藻屑は何かと絡んでくる。嘘つきで残酷だが、どこか魅力的な藻屑となぎさは序々に親しくなっていく。だが、藻屑は日夜、父からの暴力に曝されており、ある日―。直木賞作家がおくる、切実な痛みに満ちた青春文学。

物語には二人の重要な登場人物が出てくる。それは、語り手であるあたしと藻屑の二人だ。それぞれが似たような境遇の持ち主だった。あたしには働かない貴族の兄がいて、藻屑には絶対的な父がいた。
二人はそれぞれ実弾を持ってない。実弾というのは大人が持っている力のことだ。子供は大人には勝てない。あくまでも子供は大人の庇護下の存在でしかない。だから子どもが打つことができるのは効果のない砂糖菓子の弾丸だけなのだ。

藻屑は嘘ばかりつくことから主人公に嫌われて始め友達になれなかった。自分は人魚だという幻想を語る彼女に違和感を覚えるのは当然だろう。けれど、わざと彼女は嘘を言っていたのではなかった。嘘をつくことは、どうにもならないこの世界が全てが夢であったら良かったと想うために必要なことだったのだ。そこまで彼女を絶望させる境遇とはどんなものだったのだろうか。

実は藻屑は父から暴力を受けていた。そしてその事実に対してあまりにも無力だった。ただ言われるがままやられるまま攻撃を受け続けた。
そこまでされても藻屑は父のことが好きだった。なぜなのだろうか。それは実際の例で説明できる。

父母、兄弟によって虐待の被害を幼い頃からうけてきた少年がいる。その少年は殴られても彼らのことを悪く思うことはない。なぜなら自分が悪いと考えるからだ。僕が悪い子だから殴られてて当然なんだと。
周りから見てどんなに釈然としない状況であってもだ。

それと同じで藻屑も父親のことを悪くは思えなかったのだ。

しかし、最後の最後で彼女はそこまで思い込んでいた父親から逃げ出そうとした。主人公と一緒に。だが……

最後は語らない。ただ思うことがある。他の人とって嘘であったことでも藻屑自身にとっては事実であったのではないのかということだ。彼女の中に独自の価値観ー世界があってその中で彼女は幸せな人生を送っていたと考えられないだろうか。
その世界から抜けだして現実に最後は目を向けた。そして立ち向かったのだ。

その勇気に祈りを贈りたい。