ミグストラノート

ラノベ読みの日記です。その他、地質。

セカイ系の主人公になることは可能か不可能か?

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セカイ系という考え方がある。
Wikipediaの該当箇所から引用する。

セカイ系とは「「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと」であり、代表作として新海誠のアニメ「ほしのこえ」、高橋しんのマンガ「最終兵器彼女」、秋山瑞人の小説『イリヤの空、UFOの夏』の3作があげられた[9]。

セカイという響きがいい。そうは思わないだろうか。これは自分の勝手な好みでしかないが、セカイ系という考え方は私は大好きだ。

物語の中で主人公は、自分と重ねて見る対象だ。その主人公が世界の命運をヒロインとの関係性で左右するなんてすばらしいシチェーションではないか。
現実世界では自分の選択が世界に対して命運を変化するほどの影響を持つことはない。例えば、自分が誰と付きうか、結婚するか、友達になるか、どこに住むかなど人は多くの選択を生きていくうえでするが、それらの一人の人間がする行動は世界に対して大きな影響力を持つことはないのである。

常に世界は多数の者の選択の結果によって動いている。それが事実なのだ。中にはいや、そうじゃない。一人で多くのことを変えた英雄だっていたはずだと言う人もいるかも知れない。
だが、それらの人物がやったことはそれらの人物をうみだした先駆者たちの選択の積み重ねによって生まれたものだ。

だから、主人公とヒロインに二人の関係性によって左右される世界もこのような選択の積み重ねによって作られているのは事実だ。
それらの上で彼らは世界に対し大きな影響を与える行動をすることができる。
けれどそのような二人の晴れ舞台ともいえる場に立つことは僕たちには限りなく難しい。1世紀に一人いるかいないかというところだろう。
そんなわけで、読むだけでそのような場に立つことができるこのような物語はとてもすごいものだと思う。
限りなく不可能なことを体験できるのだから。


ここまでは一般的な話。
前述の通り、セカイ系の主人公たちにまさるとも劣らない場に遭遇するものが1世紀に一人はいる。ジョブズもその一人だろう。コンピューターと言うものをつくりだした彼の偉業はそれに価する。
彼らのような人になるには結局のところ運なのだと思う。運がなければ全てはうまくいかない。運命の歯車が奇跡のようにかみあって生まれるもの。
では私たちには意図的に運は引き寄せることや遠ざけることはできないのだろうか。
その回答は私は持ちあわせていない。
なぜならこの世には運命論とそれと対極する自分で運命を開けるという考え方。もう一つは何も考えずただ目の前しか見えない生き方。この3つが混在しているからだ。最初を取れば、解答は不可能になり、次をとれば可能になる。最後を取れば人は永遠に分かれない。

人間では2つのうちどちらが正しいかを決めることは無理だと思う。
正しい回答を持っているのは人を逸脱したものだ。創世神に匹敵するものか、他の世界の住人などがあげられる。

夢みたいな話が続いたが、言いたいのはセカイ系の主人公に努力でなることは可能か不可能かということだ。

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