アニメの販売モデルと原作について

大衆的なアニメは手塚治虫に始まりましたが、ここ数十年のアニメにはどこから原作を持ってくるかという面からみると、違った発見があります。


かつて、エヴァンゲリオンを初めとする、ストーリーを他のメディアに求めないものが多くを占めていた時代がありました。これらの作品はストーリーを脚本家、プロデューサー、監督と話しあって決めていました。

時代が移り、メディアミックスと呼ばれるものが積極的に行われるようになりました。アニメと同時に、漫画や小説など多数のメディアで同じ作品が扱われるというものです。つまり相互に影響しあうことで、その作品を知ってもらう機会を増やす、また売上をのばすというものでした。
これらから派生して漫画に原作を求めるというモデルが生まれました。

この方式の利点はアニメによって、漫画の売上を上げるというものです。これは2010年現在も積極的に行われています。近くの本屋に行ってみれば、アニメ化された漫画のコーナーがあるのが目に入ってきます。
このモデルで有名なのは鋼の錬金術師です。アニメ化される前もある程度売れていましたが、アニメ化の後は大きく売上をのばしました。


一時のブームが去り、漫画を原作にするアニメは、減ってきています。なぜなら、アニメ化して利益が出そうな有望な漫画が減ったからです。どの漫画でもアニメ化すれば売れるというものではありません。漫画自体にも魅力、例えばストーリー、絵柄、キャラの可愛さ、がなければ駄目だからです。最悪の場合、アニメも漫画も話題にならず大きな赤字を被ることになります。それで、減ってきています。


そんな漫画を原作とするものが減るのにあわせてライトノベルが注目されるようになりました。アニメにしたとき、視聴者を惹きつける魅力があったからです。
代表例が「涼宮ハルヒの憂鬱」です。京都アニメーションがアニメの制作を持ち、その完成度の高さで多くのアニメファンを惹きつけました。私も大好きです。
その力は原作にも及び、小説は2010年1月の時点で600万部を売り上げている。ここ数年新刊が出ていないにもかかわらずです。その凄さが、実感できたでしょうか。
2010年現在、ライトノベル原作の時代が来ています。どのレーベルもアニメ化、アニメ化と多くを送り出してきています。


激劇場版映画の話は、おいといて、最後にアニメの原作は次にどこに求められるのかという話をします。
私はずばり小説だと思います。

2010年、とあるアニメが話題になりました。それは「四畳半神話大系」です。原作は、森見登美彦の同名小説。
ライトノベルのような非一般小説を原作としない、久しぶりのアニメでしたが、大きな反響を生みました。

一般小説がライトノベルより優れている点は、いくつかあります。まず、構成能力。これは一般小説の作家の方が高い。論理的なつながりを持った文章は練習しなければかけない。この能力が高いライトノベル作家は限られます。

次に過剰な演出へのアンチテーゼとしてです。ライトノベルとアニメは近しい存在であるため人気を出そうとしてどちらも過剰なサービスをしようとします。かわいいキャラを意味なく出したりなどです。で、それがないのが一般小説。
なぜそれがないのか、理由は起源が異なるからに決まっています。アニメからの派生物と文化活動としての王道のものでは大きく差があります。過剰な演出のアニメが飽きられたとき、別の視点を求めて、これらが注目されると思います。

後は、別の購買層を引き寄せるなども含まれると考えられます。よって、小説がアニメの原作として見られるようになると確信しています。

以上、アニメの販売モデルから拡張して、アニメの原作をどこに求めるかという話でした。