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ミグストラノート

ラノベ読みの日記です。その他、地質。

世界の人間は3タイプで分ける事ができる、天才と秀才と凡人に

世の中には3タイプの人間がいると僕は考えている。それは、天才、秀才、凡才の3つである。

凡人は、その名の通り平凡な人間たち。この世界にいくらでも転がっている。たいていの他の人と本質を違えない普通の人間を指し、彼らは、多くの人とその存在を同義にしているため常に社会において疎外感を感じる事はない。


もし、あなたが疎外感を感じるような人間ならば、もはやそれはあなたが凡人ではないという事を表している。
あなたは秀才かもしれないし、天才かもしれない。
そこで考えて欲しい。
自分は本当に普通の人間なのかと。
いままで、凡人の中にいようと、自分を偽ってきただけではないのか。

それに気づいたときあなたはもはや凡人ではない。
だが、そこで慌ててはだめだ。
あくまでも他の凡人には自分を偽り接するべきだ。
なぜなら、他と違うそれだけであなたは差別の対象になるからだ。
一度でも彼らにとって排斥の対象となれば、抜け出す事は容易ではない。昨日までは良き隣人だった人が襲いかかってくる。その対象は公的機関まで及ぶかもしれない。それが本来人を守る立場にある存在だったとしてもである。

だが、そこで人間に対して怒りを感じて攻撃してはならない。
それをしたなら、あなたはもはや人間という存在を逸脱する。
あなたは人ではない。けだものになってしまう。

だから、あくまでも人に対して自分を偽り他人をだまして生きていく事をおすすめする。


もしそれが極限に達したとしたら以下をおすすめする。あなたは、自分と同じ存在。秀才か、天才か、に心の内をさらけだしなさい。

次に秀才と天才について。
秀才は、凡人とは違い明らかに自分の思考、能力が凡人を超えている事を理解している。
だから、少しの勉強で成績を伸ばし、思考においても凡人とは違った多面的な視点で語る事ができる。

多くの場合、秀才の人はそれでも天才まで至っていない事を理解している。そして秀才としての能力はあくまでも凡人を超えているがそれでも驚くべきものではないのが現実だ。
ここで多くの場合と書いたのは、秀才の中には自分が天才だと思い込んでいる人間がいるからだ。そんな人間を見ると悲しくなる。かわいそうになる。彼らはいつか現実を知る事になるかもしれないし永遠に知らないで終わるかもしれない。
知らないで終われた方が彼らにとっては幸せだと思うが。

一方天才は、人の枠を超える。
どんな風に超えるのかは僕には語る事ができない。
なぜなら、僕は天才ではないからだ。
曖昧な存在論で彼らの存在を言い表すなら、すべての存在を塗り替えるといったものか。
すべての事を疑っているに違いない。
五感の全てを信じていない。
見たものも、味わったものも、何もかも信じられないのだと僕は思う。

だから、いつの日か天才に会いたい。そして前のエントリーで述べたように彼らがどんなことを考えているのかを知りたい。
そんな知識欲が僕という存在を支えている。
ハーバードにでも行けば会えるかな。