一般文芸とライトノベルの情報の中心の違い

一般文芸とライトノベルの情報の中心には違いがあるように思われる。それは、一般文芸が文芸雑誌や研究書などオフラインのメディアで情報が共有されるのに対して、ライトノベルはネット上で情報が共有されることが多いという違いである。

これには、ライトノベルという物がかつてマイナーであったということが関係しているのだと思う。ライトノベルという物が初期において一般的に見る人が少ないジャンルであったため、近くでライトノベルについて話したり、考えたりできる人がいなかった。だから、少ないライトノベルを愛し読んでいた人が、仲間を求めて日本全体という規模が広いネット世界に集合していったのではないだろうか。

他の理由としては、ライトノベル自体がサブカルチャー的な物だと思われていたことも原因だと思う。そのため、リアルの友達に語ることが避けざるおえなかったのではないか。また、サブカルチャーを愛好する人が単純にネットに詳しかったのかもしれない。読み手がネットに親しむ若い世代であったということも一因だといえる。


いずれにせよ、ライトノベルはかつてよりもずっと知名度が高い物になったのは間違いない。昔は、ライトノベルを読んでいることを人に話すことが、子供であっても大人であっても避けることが多かっただろうが今ならば、普通に会話に盛り込むことができるだろう。それくらいメジャーになったのだから、次に起こるのはネットからのオフラインメディアへの逆流入だと僕は考えている。

例えば当然のように、文壇雑誌にライトノベルの批評がのり、ライトノベルというものが文化や芸術として確固たる価値を持つことができるようになるのではないか。漫画が昔、悪しきものとして見なされたが今は一般的に認められている(東京都の条例の件はまだ完全ではないことを露呈しているが)ように、ライトノベルがより一般的になっていくだろう。そのためには、作家や読者、出版社が一般への周知という努力をしていくことが必要だ。

作家はよりよい作品を書き、またアピールをする。出版社は作家にアドバイスをしながら、メディアミックス戦略などをする。読者は、感想を書いたり、友人に宣伝する。そうした地道な努力が結果へと繋がるのだと僕は信じている。手塚治虫先生は、漫画の規制に対して先頭にたって戦った。東京都の規制はおそらくライトノベルにもいずれ及んでくるだろう。いまこそ、行動を起こす人がいてもいいのではないか。