基礎の基礎とも言える文章作法について 引用

よく見るブログ、ライトノベル新人賞に応募しよう!海燕さんが基本的な文章作法について書かれていた。初心者がしがちなミスがまとめられており、僕自身も学ぶことが多かったので引用しておきたい。

参照記事 文章読本が教えてくれない文章技術の基礎の基礎、実践編。 - ライトノベル新人賞に応募しよう!

1.時制の混乱。

ごくあたりまえのことですが、ひとつの文章のなかで時制の矛盾があってはいけません。とめさんの文章は全体的に過去形で書くべきところを現在形で書いている傾向があるのですが、その結果、時制が混乱しているところがあります。たとえばここ。

 そう言うと、津雲は依鈴に依頼の紙を渡した。依鈴はそれを受け取りしばらく眺めるが、抱いた感想は同じだった。


 「しばらく眺めたが」が正解でしょう。ここらへんは感覚的に違和感を覚えてほしいところ。


2.てにをはの混乱。

てにをは」は日本語の基礎です。これについては説明はいらないと思うので、具体的な問題箇所を示してみます。

 悠のやる気のない声援を受けながら、津雲は手頃な枝に手を掛けて木を登ろうとした――

 「木に登ろうとする」が正解。「木を登る」が使える場合もなくはないだろうけれど、この場合は「木に登る」が正しいですね。これも感覚的に判別できるようになってほしいところ。


3.句読点位置の問題。

句読点の位置が正しくない、というか美しくない例が散見されます。たとえばこれ。

 先生と掛けあって正式に部としては認められていないがボランティア部の活動そのものは許可され、職員室前にポスターを貼り、そこに投書用の箱を置いた。

最初の箇所は「先生に掛けあって」が正解だと思いますが、今回の問題点はそこではなく、句読点の位置。この文章は読点なしで一文を続けているためにきわめて読みにくく、また理解しづらいものになってしまっている。

日本語の文章にとって句読点はきわめて大切です。常に句読点の位置を意識しましょう。読点の位置についてはリズムを意識することも大切だと思うのですが、まずはその前に意味情報を正確に伝達することを考えるべきでしょう。

もっとも、この文章の問題は句読点だけではないけれど。ぼくが直すならこうかな。

 教師たちに掛けあった結果、ボランティア部は、正式な部として認められこそしないものの、活動を許可された。そこで津雲たちは職員室前の掲示板にポスターを貼り、そこに投書用の箱を設置したのだった。


4.視点の混乱。

これがいちばん重要な問題点ですね。とめさんの文章は視点が混乱しています。三人称の文章でも、「だれの視点で書いているのか」は常に意識しなければなりません。そうでないと、読者が混乱する。視点を切り替えるときは空行を置きましょう。それが日本語の小説の基本ルールです。

たとえばここは最もわかりやすく視点が混乱している。

 それは、今から三年ほど前の話。
「その人は、見ず知らずの私に手を差し伸べてくれた」
 見返りを求めるでもなく。ただ目の前に困っている人が居たから。
「その時に思ったの。私も、誰かを助けることの出来る人間になりたいって」
 それから能力に目覚めて。ようやく、自分も誰かの助けになれると思ったのに。
 足りなかった。わたしはあの人みたいになれない。

 それまで津雲の視点で物語が進んでいるように見えたのに、突然、依鈴の視点に変わっています。つまり、依鈴しか知らないはずの感情や情報が登場する。不要であるばかりか、有害な箇所です。


5.表記の統一性の問題。

とりあえず表記は統一しましょう。

「あの子はお前的に見て、アリ? 無し?」


 ここは、一方が「アリ」とカタカナなのに、もう一方が「無し」と漢字になっていて、違和を感じさせてしまいます。カタカナにしろ、漢字にしろ、統一したほうが良いでしょう。

また、漢字で書いた語はすべて漢字、仮名で書いた語はすべて仮名、とすることが基本だと思います。あえてそこを崩すこともできますが(そうしてそれは時に大きな効果をあげますが)、当面はそういうテクニックに走らないほうが良いかと。とりあえずは表記は統一するべきです。


6.漢字の開き方の問題。

漢字の開き方は意識しなければなりません。これも、より高いレベルでは色々テクニックがあるのですが、とりあえずは常識的な開き方を考えるべきでしょう。瞬時に意味がわかることが基本です。これは問題がある例です。

「じゃあ、見た目的にはどうなんだよ」


「みためてきにはどうなんだよ」と読ませたいのだと思いますが、一瞬、「みたもくてきにはどうなんだよ」と読めてしまいます。複数の熟語を連続させることは避けたほうが良いでしょう。そういう場合は仮名に開くことを考えるべきかと。

次のような使い方も問題。

 悠は首を傾げる。実際、見た目で気に入ったと言うのは否定出来ないのであまり強くは言えなかった。

「と言うのは」とか「否定出来ない」といった漢字の使い方は奇妙に堅苦しく、うるさい印象を与えます。「というのは」、「否定できない」でいいでしょう。

ここらへんは意見が分かれるところかもしれませんが、ぼくは日本語の基板は仮名だと思うんですね。基本的に仮名のほうが読みやすい。ただ、仮名が連続しすぎるとそれはそれで読みづらいから、漢字がアクセントとして必要になる。そういう感じなんじゃないかな。

「私も甘く見てたかも。受け取ってくれる人には、もう殆ど配っちゃったよねー……」


これも、「ほとんど」で良いですね。「かも知れない」などという表現も、基本的には「かもしれない」にするべきです。例外はあるでしょうが、とりあえずはそのことは考えなくてもいい。


7.口語表現の混在。

地の文に口語的な表現を混ぜることはやめましょう。途端に幼く、素人臭い印象の文になります。

 津雲がこの高校を選んだのも家から近かった事と偏差値的に釣り合いが取れていたと言うだけの話だった。


やはり句読点が少ないのですが、「家」は「自宅」とでもするべき。この文章はたとえば、

 津雲がこの高校を選んだ理由は、自宅から近く、また偏差値的に無難だったというだけのことだった。


とでも書くところでしょう。あくまで一例ですが。

 

話を終えて戻ってきた悠が、こちらを見てドヤ顔をしている。


などというのも×。「ドヤ顔」はないでしょう。


8.同じ語のくり返し。

これも文章の基本ですね。同じ語を近くでくり返さない。

 だったら別に、奉仕クラブに拘る必要なんて無いはずだ。

「だったら、作ろう。入れないなら、作ってしまえばいいんだよ」


「だったら」が連続しています。こういうことは避ける。それだけでだいぶ文章がうまく見えるものです。


9.語の並べ方の問題。

 寂しそうに、依鈴が俯いている。

 諦めの表情で、依鈴は乾いた笑いを浮かべる。


このような倒置表現はある程度書けるようになるまでは避けたほうが良いでしょう。素直に「依鈴が寂しそうに俯いている」、「依鈴はあきらめたように乾いた笑顔を浮かべた」とすることが妥当。

語の並べ方は文章にとってきわめて重要です。文法的にどういうものが正しいのかはよくわかりませんが、主語がいちばん最初に来ることが基本でしょう。それを外すときは良く注意してやるべき。


10.文法上の単純ミス。

ごく単純に日本語としておかしい文章です。

 二条津雲はその半数のうち、能力を持たない人間だった。

 「能力を持たないほうの人間」。

 自分の知る限り、咲良田の外で能力が使われたという話は聞いたことがない。それは咲良田に住まう者の特権とも言える存在だ。

 「能力は咲良田に住む者の特権だ」。

 どんな能力が欲しい、自分なら能力を最大限に使いこなして見せる―― そんな妄想を、飽きるほどに繰り返した。


「こんな能力」。あと、「――」のあとにスペースを入れる必要はありません。


11.無意味な体言止め。

体言止めを無闇と使うことはやめましょう。体言止めは効果を計算して、特に印象づけたいところにだけ使うものです。だから、

 まず受け取ってもらうのに一苦労。そしてまともに読んでくれるのがその一割程度。日が経つに連れ受け取ってくれる人は減る一方。結果、大量のビラが余ってしまったという訳だ。現在のところ入部希望者は0。問い合わせすら無いと言う酷い結果に終わっている。

このような文章は問題。意味もなく体言止めを使ってしまっています。直すとしたらこうかな。

 まず受け取ってもらうだけで一苦労した。その上、まともに内容を読んでくれたのは受け取ってくれたものの一割程度だっただろう。しかも日が経つにつれ受け取ってくれる割合は減る一方だった。結果、大量のビラが余った。現在のところ入部希望者は0、問い合わせすらないという酷い結果だ。


12.記号の乱用。

「はいはい、申し訳ございません。どうせ彼女いない歴=年齢ですよー」


文章のなかに記号を混ぜ込むのはやめましょう。「(笑)」とかを使いこなす作家もいますが、それはあくまで上級テクニック。基本は文字だけで伝えることです。あと、「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ」みたいな表現も素人臭いからやめたほうが良い。