七十年の孤独

百年の孤独』という本がある。ノーベル文学賞作家、G・ガルシア・マルケスの書いた長編小説。ブエンディアの一族が切り開いた村、マコンド。そこで刻まれる一族の歴史について書かれた物語だ。多くの人物が生誕し結婚を迎え大人になり、そして年を取り死んでいく。

繁栄を迎えながら百年がたったとき、村は滅亡を迎える。最後の残ったのは瓦礫の山だった。

長編小説でありながらも、圧縮されたその物語は長さを感じさせない。僕自身の理想の形とも言える作品だ。

百年の月日の経過に最後に滅びた村、マコンドだったが日本でも同じような事例がある。それが今回の津波により、同じく瓦礫の山と化した三陸海岸沿岸である。

かつて、1933年の昭和三陸大津波出大きな被害を受けた地域だが、七十年の年月を経て多大な被害を被ることとなった。先人達は、いずれ起きることが予測される新たなる津波に対してこれより下に家を建てるなと言う文言を刻んだ石碑という形で警告したが、結果的に多くの地域で守られることなくこのようなありさまとなった。

標高の高い山間部は、海のそばの平坦な地域と違って生活がしづらいのは当然のことだ。少し出歩くだけで、足腰に負担はかかり、住まいをたてる場所も限られる。それは山の上に長年住んでいた僕は大いに共感できる。車なしで外に出るのがおっくうになるのだ。ましてや、高齢者は自動車などを運転できないことも多い。よって致しがたがないと言う見方も出来よう。

しかし、反省を糧として進化をしなければ人間という種は滅びを迎える。想定外だという言葉は引っ込めて、失敗を生かそうではないか。死んでいった人たちも、報われない。

百年を経てマコンドは完全に滅んだが、七十年後に襲ってきた津波によって被害を受けた地域はまだ滅んでいない。やり直しが出来る。希望を胸に反省を生かしつつ再生できるように、適切な支援を公共団体は行っていく必要がある。

百年の孤独

百年の孤独