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ミグストラノート

ラノベ読みの日記です。その他、地質。

「生徒会の十代」考察 日常系におけるハーレムの成立過程と条件

ライトノベル

生徒会の十代読了。途中、中だるみはあったけど、よく完結させた。「生徒会の金蘭」が良い出来栄えだったのでその流れで読めた。読み終わるまではこれで長いシリーズもようやく終わりかと思っていたが、最期まで読み終わると、杉崎主人公で第二シーズンを本格的にやってもいい気がしてきた。それくらいかっこよかった。杉崎が生徒会長の番外編が数巻とはいえあるということなので、それを楽しみに待ちたい。


さて、自然に誰もが幸せなハーレムエンドを作るためにはヒロインに独断専行をさせないことが必要となる。ここではその条件がそれぞれにとって契機である卒業まで一線を超えないことだ。色々なイベント、修羅場とかすれ違いがあって、痛みを伴うハーレムを創り上げるのとはまた違うのである。
どこが違うかというと、ヒロインそろぞれ一人だけで杉崎と翻意の中にならないという暗黙の了解を持っているところだ。これにより、立場が横並びのハーレムが出来上がる。杉崎が特定の一人と付き合うことを拒絶してもおそらく押し切られるに違いない。
いや、彼は生粋のフェミニストだ、女の子を裏切るような真似をしないという人もいるだろう。しかし、ヒロインの誰かが関係を持ってと迫ってきた時、キスだけで止まれるだろうか。深夏が知弦が真冬が飛鳥が林檎が、くりむが(いや、会長は違うか)。断るのも不義理である。そうして一度関係を持ったが最後、関係性に変化が生まれる。

体を持て余す高校生が性の味を知ったが最後、留まることはできない。快楽に溺れることは想像に難くない。そこまでいかなくともヒロインは自らが他を差し置いて、行動したことに対して背信行為とも言える後ろめたい感情を得るだろう。それは、ヒロイン同士の関係性を悪化させることに間接的に繋がる。

禁断の恋ほど燃え上がるものではあるけど。

深夏のように好意を自覚している状態でも卒業まで待った。そのことに対して、優しい世界という日常系の本質を見るわけである。

ということで、日常系が生徒会の一存に対してどういう影響をもたらしたかという話でした。