信大地質科 地質調査演習(進級論文)について

はじめに
信州大学地質科学科では,3年生に進級論文を書くことになります.これを書いて単位を取らないと,4年に上がれません……ということはありません.

これも複雑な事情があるのですが,簡単に言うと4年への進級要件は教養単位も含めて2年までの単位をすべて取ることにあるわけで,3年の単位はそれには含まれないわけです.

だといって,はっきりいってこれを達成しない限り,卒業論文を書き上げることは不可能でしょう.ただし,死ぬほど辛いです.


内容 調査期間中について
夏休みの長期休み中に地質調査を長野県阿南町で行なっています.ここしばらくですけど.

調査期間は7日間です.3人から4人の班を組んで行動します.調査区域は班によって変わりますが,2?四方ぐらいですかね.移動手段は車です.TAさん,もしくは先生が全日につきますが,あくまでもアドバイスです.

しんどいです.調査もそうですがね,まあ全て込みで.

一日調査して帰ってきて,データをまとめて全員の前で発表してまたデータをまとめて明日の予定を決めてを毎日繰り返します.最終目標が地質図と総合柱状図をつくり,構造を知って堆積環境について知ることですからそれを達成するために死ぬ気で努力をするわけです.

見えない等高線で柱状図を切ったり,引けない地層境界によくわからないところに出る堆積岩,花崗岩.翻弄されて,泣きたくなります.理解力を超える事象にいくつも遭遇します.しかし,それを乗り越えなければ卒論が書けません.当初の予定を修正しつつ,仮説に合わないところを地道に足で稼ぎます.そこに何が出ているのか,断層の証拠はないのか.かつての先人たちが書いた論文を参考にしながら,岩相を比較することも大事です.

調査も,沢に入り砂防ダムをいくつも超え,木にしがみつきながら山に登り,崖にへばりつく.それの繰り返しです.落ちても下まで2,3メートルの場所(それ以上だと止められる)なんで途中から平気になってきます.それを人は慣れという.

もう一つの敵,蜘蛛の巣.ヤブをこきながら進むわけですが,当然ながら木という木には蜘蛛の巣が張っているのでそれをハンマーなりで壊しながら進んでいきますが,失敗してヘルメットや顔中がクモの巣だらけになります.

そんな過酷な日々は,なんであそこに行かなかったんだ,データ不足だったという後悔を残しつつ終わります.それはしょうがないことです.だって初めてなんだもの.なんでもチャレンジすること,そうでなければ成長はありませんし,これを経て私自身も少しは一人前に近づけたのだと思います.


内容 帰ってきてからについて
帰ってきても休むことは許されません.時間がないからです.ダラダラやってもしょうがないです.

現地で調査してきたデータから岩相分布図と地質図をまず作ります.その過程で各ルート(沢)の柱状図をつくり対比させる事が必要です.各沢柱状図を対比させるわけです.指標となる凝灰岩や火山灰層,化石が含まれているか,岩相などさまざまなことを比べます.そしてその地方の総合的な柱状図を作るわけです.下から上にとどういう地層が出ているのかということがそれには盛り込まれています.層厚とかほかにも.

阿南町で広く出る新第三紀前期中新世の地層群は富草層群と呼ばれています.氏原ほか,1988に従うのならば,花崗岩を基盤に持ち,その上に下位から和知野層,温田層,大下条層,新木田層,粟野層と区分されます.その上に第四紀層が載るわけです.さらに富草スラストと呼ばれる低角の衝上断層が堆積岩の上に乗り上げており.花崗岩がそれに沿う形で登ってきて露出しています.そのスラストを考慮に入れなければなりませんし,さらに堆積岩中に花崗岩が突然出ている場合は不整合も考えなければなりません.とにかく難しい上に,頼れるのが論文と自分の調べあげたことだけという状況でとにかくデータと反しない地質図を作ろうと作業します.時間が何時間あっても足りない気がします.

そしてデータもまた,未熟な僕らがやるわけですから,常に正しい訳ではありません.特に走向と傾斜のデータ.地層の広がりの方向と傾きを示すわけですが,これがあまりあてにならない.どう考えても測ってはいけないところで取っているということです.信頼性が低いデータは混乱のもとですが,10取れば何かしらの法則性はわかりますので,当然必要な作業です.

3〜4週間ほど格闘してようやくできた地質図などをもとに報告書を書いてひとまずは終わりです.その後,誰でも参加できる報告会という試練を乗り越え完全に終わりとなります.不十分だと直しが入りますが.


まとめ
とにかく大変な地質調査演習(進論)ですが,やりきった感はあります.壁を突き抜けた感じと言うでしょうか.達成感と安心感が2対8ぐらいで存在しています.進論は一体なにをやるのだという僕からの一つの説明でした.得られるものは知識や経験だけでなく,コミュニケーション能力や地域への親和性など多岐にわたります.自分一人で出来るものではないんだなと実感させられます.けれど最後にもう一度言っとくとマジでしんどいです.心して掛かれよ後輩ちゃん.今までで一番しんどかった2ヶ月でした.


引用文献
氏原温・細山光也・斉藤毅・柴田浩治・伊奈治行・山岡雅俊・若松尚則・柴田律子・柴田博(1988),岐阜県岩村盆地の中新統の層序および中新世古地理,瑞浪市化石博研報,no.14,13-30.




おまけ
富草層群の層序,古地理ついては上に上げた論文が詳しいですが,宇井(1970)も読んでおくとよろしい.なぜかというと二人の見解は分かれていて,この富草層群について初めてまとめた鹿間先生よりの考えが宇井さんであって,氏原さんの考えとは部分的にちがいます.温田層や大下条層の定義など.

宇井 啓高(1970),長野県下伊那郡阿南町に分布する中新世,富草積成盆地の構造,地質雑,75(3),131-142