地質の学生である僕としては、短期的な今の人類のことを過大評価していない。
地質を学んでいる人間は、時間の尺度が異なるのが理由である。人間なんて、長い生物や地球の進化においては一瞬でしかないからである。だいたい、僕にとって最近というのはここ一万年のことだし、人によっては地質年代で言うところの新生代第四紀以降を最近ととらえているかもしれない。人類の歴史なんて地球の歴史46億年からしたら一瞬である。
このように、尺度が違うので一瞬を生きる人間は確かにその場においては頂点に立っているるかもしれないが、いずれすぐに消えるわけで地球の上に住まわさせてもらっているみたいな認識である。
だから地球が崩壊でもしないかぎり、環境が変化することに対して恐怖を抱いてはいない。地球温暖化もまあささいなことなんだよね。人は住みにくくなるかもしれないが、植物や昆虫からしたら快適そのものだし。
人にとってを考えるより、生物全体、地球全体にとってを考えることがあっていいと思う。
しかし、環境が変化すれば人間にとって住みにくくなることもあるだろう。なので、ある程度の範囲内で今を維持しようとすることは別に間違ってはいない。
海水面の上昇とか大変だけど、海水面が高い時期も低い時期もあった。二酸化炭素濃度もマグマオーシャンが終わって以来ずっと下がり続けてきた。それがほんの少しだけ戻っているだけ。これが地球温暖化に寄与しているかは断言はまだできない。
この視点は、生物を学ぶ人も持っているだろう。ある種仙人みたいな視点。人もまた自然の一部であるという言葉があるけれど、まったくその通りである。自然を支配したなんて、おごりに過ぎない。大地を多少削っても、物質循環によって削られた分だけ今も作られている。
なんで宗教で言うところの人類が滅びるとか終わりだなんていうことはどうでもいいし、皆平等に滅びるのだとしたらそれが自然の摂理であって、それに過度に干渉する必要はない。それにだいたい無理だし。一部が残って、進化していくのならばなおよしというところだろうか。
環境維持に努力することはありだが、それは絶対ではない。
人によって時間の尺度は違うし、人が自然を守っているなどいう認識は大間違いだよという話でした。